マイコンカーに出会って2年が過ぎた。たまたま、学科の先生に挨拶しに行こうと思って入学式の日に今の部室がある部屋の横を通り過ぎた。その時に、ある先生からロボット競技を一通り教えていただいた。その中で、マイコンカーの走行シーンを見た瞬間これだ!って思った。
白と黒と灰色のラインが入っているコース上を自立して走行する車。なんだこりゃ!?って思った。それから、この変な車の事を知りたくて毎日マニュアル片手にちょっとずつ理解していった。しまさんなんて、今ではブログや大会を通してお話できるけど、その頃は雲の上の人だった。初めてメールした時も、誤字脱字がないか1時間くらいかけて文章を考えたりしてた。
この2年間で本当にいろんなことがあった。マイコンカーをしたくてもコースすら出せないゴミだらけの部室。入学して、夏休み頃までは毎日片付けをしてた。それから、しばらくすると頼りにしてた先輩方が3人辞めてしまった。残ったのは、当時の3年生の先輩と自分だけ。C言語なんてさっぱりだったし、回路図も全く読めなかった。
でも、同じクラスの友達が一緒にやろうって言ってくれるようになった。それでも部員は3人。他の学科にもマイコンカーに取り組んでる科があったけど放課後は大会前以外部室に電気が灯ることはなかった。
初めてのレース。車体はある程度完成してたけど3mで脱輪。そして、九州大会も最初のカーブで脱輪。年明けの新人戦もゴール目前の上り坂で脱輪。
どんなに良い車体を作っても、プログラムを改良しても、結果が出なかったこの頃。頑張っても頑張っても完走してくれなかった。コースメンテが、電池の電圧が、コースの段差が、フラッシュ撮影されたからとか、変な理由をつけて自分をかばってたりしてた。
でも、横須賀大会で全てが変わった。自分の価値観も、ものづくりに対する考えも。あの時、もっと速く走りたい!最先端の車体を見たい!って想いがあったからこそ、今の自分の車があると思うし、ホントにいろんな方に感謝すべきだって思えるようになった。
正直、マイコンカーが将来自分にとって、どこでどう役に立つのか分かんない。勉強だってそう。だけど、苦労してやっとレースで完走出来たとき、多くの人が自分を認めてくれたとき言葉では言い表せないくらいの想いがこみあげてくるのを何度も経験した。それがマイコンカーだった。
車が走らないときにはめっちゃ不機嫌になるし、想定外の走りをしてくれたときは嬉しい。周りの環境とか、金銭面とか、設備の事とか色々あるけど、自分は自分でできる範囲内でベストを尽くしたいし、自分が良いレースをしていろんな人に感動を与えたい。マイコンカーほど人と人のつながりがあるロボット競技ってないと思う。だから、これからも多くの人と出会って皆でこの競技を盛り上げて行きたい!!
このブログはそういう想いを込めて立ち上げました。って、結構マイコンカーに関係ない個人的な事も書いちゃってますがこれからもよろしくお願いします♪
あ〜ぁ↓↓書きすぎだぁ(笑)